歴史

1.潮江の昔、今、未来潮江の名の由来

その昔、左大臣の(みなもとの)(とおる)が何かの折、通りかかったこの土地の塩焼き風景が忘れられず、京の都の豪邸の庭に塩焼の造りをこしらえ、必要な海水を当地から汲み上げ京へ運びその風景と香りを楽しんだという伝説があるそうです。良質の潮がとれることから、潮江と呼ばれるようになったということです。

2.昔

 今から数千年前の縄文時代、現在の尼崎市域は、北部の一部を除いて大部分海でした。その後海水面が少しづつ下がり始め、やがて弥生時代に入ると、田能など市域の北部に人が住みはじめます。武庫川・猪名川の流れや大阪湾の潮流が運ぶ土砂によって陸地が広がり、弥生時代から古墳時代にかけて、海岸線が現在のJR東海道線あたりまで南下していきます。現在の小田地区で言うと、弥生時代の終わり頃から古墳時代にかけて、人々が住んでいた跡が下坂部から見つかっています。天平時代に完成した奈良の大仏の維持のため、荘園・猪名庄として、現在の潮江付近の土地が朝廷から東大寺へ寄進されました。阪神・淡路大震災後、現在の東大寺公園のあたりが発掘され、猪名庄遺跡が出土しています。

3.近代

 江戸時代、おもに旗本領や幕府領であった潮江は、明治の廃藩置県ののち兵庫県に編入され、明治22年の町村制施行以後は兵庫県川辺郡小田村潮江となりました。明治7年、日本で2番目の鉄道が大阪~神戸間にでき、神崎駅(今のJR尼崎駅)が開設されます。大正7年にキリンビール、大正9年には日本スピンドルが建ち、勤め人も移り住み、潮江地区(現在のアミング潮江、アミング50商店街付近)はキリン通りと呼ばれ賑わいを見せるようになりました。昭和11年小田村は尼崎市と対等合併し、尼崎市潮江となりました。

4.新しい街へ

 昭和58年「潮江まちづくり協議会」が発足、戦前からの老朽住宅、公共施設不足などの問題解決のため、公共施設の整備、商業施設の振興、住宅需要を図ることを目的に再開発が計画されました。第1地区が平成6年3月にオープン、平成9年3月には東西線開通を機にJR尼崎駅にすべての新快速、快速が止まるようになりました。キリンビールが神戸市北区に移転するため平成8年に操業を終了し、平成10年には「あまがさき緑風新都心構想」の計画が発表、そして第2地区が平成11年11月11日にグランドオープンし、ホテル、商業施設等が出来上がりました。

 平成21年に商業施設が完成、平成27年には住居施設も完成し、人口も人の大きな賑わいのある街に変貌してまいりました。大阪神戸にも利便性が良く、兵庫県の東の玄関口として今後も街の発展が期待されます。

5.30年前の商店街

 30年ほど前は、潮江本町商店街、潮江サンロード、JR尼崎駅前商店会、潮江デパート、神崎中央市場、潮栄会等の商店街があり大いに賑わいを見せた潮江地区でありました。

 現在は、アミング潮江イースト、ウエスト1番館、2番館、プラストいきいき、コア潮江ショッピングセンター、Q,sモールになりました。

潮江付近の観光名所旧跡

1.猪名庄

 潮江には、小字名が東大寺という場所があります(現在の潮江東大寺公園付近)これは、奈良の東大寺に由来しています。天平時代に東大寺が建立され、756年に東大寺建立の中心人物・聖武天皇がなくなると、その供養のために、この潮江あたりの土地も寄進され東大寺領猪名庄が成立しました。現在の潮江、浜、長洲のあたりが、猪名庄であったと考えられています。

2.潮江素戔嗚神社

 当社は、古くは牛頭天皇および大宮天皇祠の別称を持ちます。創設は年月日は不詳ですが、室町時代の享禄年間に三好長慶が足利氏に叛き摂津の国を攻略しようと池田へ進軍する際に、当社に戦勝を祈願したと伝えられます。社殿はもと小字大宮にありましたが室町後期の天正年間に現在地に移され、明治2年に玉依姫命を御祭神とする糺神社が合祀されました。社殿は、昭和20年戦災により焼失、昭和24年に仮殿が再建されました。平成26年12月に、千鳥破風付入母屋造りの拝殿及び春日造りの本殿がさいけんされました。社殿の中には新築を祝って漫画家で尼崎在住の尼子騒兵衛さんが描かれた潮江文次郎の額も飾られている。

3.神崎と遊女塚と金毘羅大権現の石灯籠

 法然上人が讃岐国(香川県)に流される途中、神崎に泊まった時、宮城という遊女ら5人が、自らの身の罪深いことを懺悔して、上人に救いを求めました。法然上人は、この遊女らを憐れに思い、「南無阿弥陀仏」をとなえれておれば、必ず西方浄土にゆけるといって念仏をとなえると、5人の遊女は、神崎川に身を投げました。人々はこれを憐れんで「遊女塚」を建立して、ねんごろに供養したと伝えられています。

 また賑わった港町であったことを偲ばす石灯籠が堤防わきに立っている。願主として宿屋など11件の屋号が刻まれている。

4.久々知と広済寺

 久々知には日本のシェークスピアと称される近松門左衛門が通った広済寺があります。上方で人形浄瑠璃、歌舞伎の座付作家として人気のあった近松門左衛門も大阪から神崎川を船で渡り、神崎の村を通り、次屋、下坂部を抜け広済寺を参詣していたと考えられます。本堂横には小さな自然石の近松とその妻の比翼墓があります。

5.戸田氏鉄公と尼崎城

 初代尼崎藩主の戸田氏鉄公は、江戸時代初期の1617年(元和3)近江の国膳所藩から尼崎藩へ入部され、翌年1618年に尼崎城築城に着手されたほか寺町を含む城下町の建設、自身の通称が付けられた左門渡川の掘削など多くの事業を手掛けられ、現在の尼崎発展につながる基礎を築かれました。2018年には尼崎城の天守建築工事完成予定(阪神尼崎駅南側の尼崎城址公園)

生活便利ダイヤル

(休日・夜間急病診療所)

尼崎医療センター(水堂町3-15-20)06-6436-8701

(救急病院)

尼崎中央病院(潮江1-12-1)06-6499-3045

(警察・消防)

尼崎東警察署 06-6424-0110

尼崎東消防署 06-6494-0118

(ごみ案内ダイヤル) 06-6489-7400

水道の故障(水道局)06-6489-7440(夜間)06-6489-7400

<市役所関係>

小田地域振興センター 06-6488-5441

社会福祉協議会小田支部 06-6488-5443

小田地区保健・福祉受付窓口 06-6488-5445

補導連絡所 06-6488-5441

小田公民館 06-6495-3181

JR尼崎サービスセンター 06-6480-5961

<子育て支援関係>

あみんぐステーション 06-6435-8320

<観光>

あまがさき・魅力案内所「あまらぶi+PLUS」050-3772-541

(地域の集会所)

 潮江福祉会館     06-6498-4311

 潮江コミュニティ住宅集会所